○学生時代フラメンコギターに熱中し、当時、来日した有名フラメンコギタリストのコンサートは可能な限り聴いてきました。その当時のチケットを未だ残して居たものがありました。
昭和47年3月7日パコ・デ・ルシア フラメンコギター・アンサンブルチケット
○東北放送開局20周年記念の一環としてパコ・デ・ルシアのフラメンコギターアンサンブルが昭和47年3月7日午後6時30分から電力ホールで開催されました。座席は「い列33番」です。確か一番前が「あ列」ですから、前から2列目のほぼ中央の良い席で聴き、兄のラモン・デ・アルヘシーラスとエンリケ・メルチョールの2人を伴奏ギタリストを従えてのパコ・デ・ルシアの演奏は、強烈な印象を残しました。
○音楽コンサートは、フラメンコギター以外にも相当数聴いていますが、私の60年の生涯で、この昭和47年3月7日のパコ・デ・ルシアのコンサート以上に感動したものはありません。兎に角、そのもの凄さに、圧倒され、呆然として立ちすくむと言う感じでした。昭和47年3月が、パコ・デ・ルシアの初来日で、この来日に前後して、「幻想」と「天才」と表記されたLPレコードを2枚出しています。そのレコード発売・入手と、来日生演奏鑑賞のいずれが早かったかは、ちと、記憶が曖昧ですが、いずれにしても、レコードで聴くと、生で聴くとでは、その感銘力は全く違います。
○このコンサートを聴いたのは大学1年も終わりに近づいた3月7日ですが、兎に角、物凄い感動で、興奮して、その夜は神経が高ぶって眠れず、当時は身の程知らずで、少しでもパコ・デ・ルシアに近づきたいとの妄想に駆られて、翌日から、猛練習を始め、大学2年次は、相崎勝利先生のフラメンコギター教室に毎週土曜日欠かさず通って、フラメンコギターの練習に明け暮れました。
○この時の演奏は、全曲、ただただ唖然としながら聴いていましたが、特にスケールの凄まじく速く、且つ、正確で強靱な音に驚嘆しました。ハイポジションを左手の人差し指(i指)で全セーハして、その他の中指、薬指、小指を目にも止まらぬ速さで最小の動作で動かし、右指は、ブリッジのすぐ近くの張りの強い位置で、第2関節以下だけを曲げて、これも最小の動作で目にも止まらぬ速さで、正確無比に強靱な音で弾きまくるのには度肝を抜かれました。
○どの曲も、印象に残りましたが、特に印象に残ったのが、モンティのチャルダッシュでした。元々はマンドリンのために書かれた曲だそうですが、バイオリンやピアノでも超絶技巧の曲として編曲され良く演奏されるそうですが、パコ・デ・ルシアコンサートでのフラメンコギターによる正に超絶テクニックでの演奏には大感激でした。
○パコ・デ・ルシアの来日コンサートは、その後も2回ほど東京で鑑賞していますが、いずれも初来日時ほどの感動は得られませんでした。2回目以降の来日では、コンサートメンバーが10人近くに増えて、フラメンコと言うより一般向けのポピュラーな曲が多くなり、物凄いテクニックは変わりませんが、余り感動はしなくなりました。今でもYouTubeでは、若き日のシンプルなフラメンコ曲の方がズッと好みです。
27歳の時に挑戦したチャルダッシュです。
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