平成19年 1月11日(木):初稿 |
○久しぶりに教育の話題です。「学校教育での体罰について」で、「私の小学・中学時代にも勿論イジメはありましたが、これによって自殺に追い込まれたり、又、中学生徒が教師をナイフで刺し殺したり或いは小学校の生徒が他の生徒を殺した等という陰惨なニュースを聞いた記憶がなく、今よりずっと大らかな時代だったように記憶しています。」と記載しておりました。 ○しかし「少年犯罪データベース」の「13歳以下の犯罪」や「少年の自殺事件」を見ると、陰惨なニュースを聞いた記憶がないのは、当時は今のようにテレビやネット等でのマスコミ報道が盛んではなかったからであり、実際は相当数遭ったようです。「13歳以下の犯罪」によると私が小学3年生の昭和35年に小学生12人が殺人で捕まったの筆頭に昭和30年代通して少年の殺人事件が多数発生しています。 ○自分の小中学校時代は、「ずっと大らかな時代」との認識は古き良き時代だったとの懐古に伴うもので、特に当時どのように報道されたかが、その認識を左右するところが大きものだと実感しました。犯罪発生状況は、今の時代も、私の小中学校時代もさほど変わっていないのかも知れません。 ○いじめの発生状況も同じで、人間が集まれば、見かけ上の強いものが見かけ上の弱いものに対し、いじめが発生するのは人間社会の宿命です。いじめは、いつの時代もどのような場所でも、大なり小なり発生していますが、大多数の人はそのいじめに耐え人間勉強をして成長していきます。なかにはいじめに耐えられず自殺に至るという不幸なケースもありますが、これをどのように取り上げるかは大変難しい問題と感じております。 ○私の小中学校時代もいじめはあり、私自身、いじめられる立場、いじめる立場いずれにもたった記憶がありますが、今でもハッキリ覚えているのは、小学校2,3年の頃の出来事です。近所に、4歳年上のガキ大将がいて、いつもその子を中心にして遊んでいました。 ○ある時囚人ごっこをやろうと言うことになり、私が囚人役をやらされ、両腕を縄で縛られ、ガキ大将が警官役として私を縛った縄をひき、数人の子供が警官の手下として私を監視する形で、近所を練り歩いていました。弱虫だった私は囚人役を拒むことが出来ず、こんな役は恥ずかしくて嫌だと思いながらも必死に耐えて、両手を縄で縛られて引き回されました。 ○ところが、この様子を見た近所のおばさんが、「何とかわいそうな、縄で腕がすり切れているんじゃないの、縄を解きなさい!」と注意してくれました。この同情の言葉を聞いた途端、私はそれまで必死に耐えてきた緊張の糸が切れ、みじめさ・悔しさが一気に込み上げ、「えーん」と大声で泣き出してしまい、驚いたガキ大将が縄を解き、私はその場から、一目散に逃げ出しました。 ○おそらくこのおばさんが、同情の声をかけてくれなかったなら、私は何とか我慢し続け、囚人役を全うしたものと思われます。人間とはなまじ同情されると弱さも露呈すると言うことをこの時実感しました。どのような形で同情を伝えるかは大変難しいものだと思っております。 以上:1,262文字
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