平成23年11月 6日(日):初稿 |
○「昭和52年10月8日ようやく宿願果たす」の記載で、私の司法試験受験日記も打ち止めと思っていました。しかし、私の受験時代を振り返って重要な記載漏れがありました。それは、気仙沼市内での私の唯一の受験仲間であった元気仙沼市議会議員Sさんとの2年間に渡る民法ゼミの継続です。 ○法律学の理解では、勉強したことをノートに書くだけでなく、口頭で議論し合うことも重要です。司法試験は短答式(択一)試験、論文式試験、口述試験に分かれます。最後の口述試験は、10人中1人位しか落ちない試験でしたが、最後の難関であり、ここで大変な苦しみを味わったと多くの受験生が述べており、私自身最も苦しんだ試験となったことは、「私が最も苦しんだ試験ー司法試験口述試験の想い出」以下に記載したとおりです。 ○私の郷里気仙沼での受験勉強は昭和50年3月から始まりました。周囲からは無謀な挑戦と言われ、私自身大変な不安を持ちながらの郷里でのたった1人での受験勉強でした。勉強場所は、気仙沼市立図書館でしたが、1人での勉強に不安を感じた私は、当時の図書館司書の女性に私以外に法律の勉強をしている方は居ませんかと尋ねると、何と、彼女の義兄に当たる方が最近、司法書士の受験勉強を始めたので紹介しますとのことでした。 ○その方は、その長男が気仙沼中学の1年先輩で、私より20数歳年上でした。しばらくある政党に所属してその政党の代表的な市会議員を数期継続されており、気仙沼では有名な方で、私もそのお名前と顔はよく知っていました。当時は、諸般の事情でその政党を離れ、市会議員も辞職して、いわば浪人中で、司法書士受験を目指しているとのことでした。所属していた政党がちと気にはなりましたが、当時は,正に藁をも掴むの心境で,是非紹介して欲しいとお願いして、早速、お目に掛かりお互い受験生として情報交換をする約束をしました。 ○Sさんは、中央大学法学部出身で、市会議員も長く勤め、法律素養もあり、元議員ですから勿論弁も立ち、且つ、当時も相当難関と言われた司法書士受験を目指し民法を猛勉強中で、民法ゼミを行うにはカッコウの方でした。田舎の気仙沼で一人勉強しなければならなくなった私には、幸運と言うべき勉強仲間の発見でした。 ○論文式試験の勉強に関しては繰り返し記載しているとおり、昭和50年11月からその年合格されたUさんの通信添削によるご指導を受けることになり、毎週1回ずつ、2年間に渡り、合計100通の論文添削をして頂き、論文式試験合格の最大の原動力となりました。このUさんにも、前記口述対策、更に論理的思考訓練のため口頭でのゼミが必須であり、Sさんとの民法ゼミの重要性を説かれて、昭和50年秋から、毎週1回Sさんのご自宅にお伺いして、真法会出版司法試験短答式試験問題集2冊を教材として、2人だけのゼミを継続しました。 ○翌昭和51年の受験は、私もSさんも、いわば二人揃って討ち死にでしたが、昭和52年の試験に二人揃って合格出来ました。昭和51年受験失敗後、Sさんから、当時、気仙沼で最も大きな司法書士事務所に勤務され、司法書士を目指していたOさんを紹介され、民法ゼミ仲間に加わって頂き、更に現役の司法書士であるKさんもゼミに加わり、一時は4名のゼミ仲間で、Oさんの司法書士事務所を会場に週1回のゼミを継続し、Sさんと私が合格した後もOさんが合格される昭和54年まで継続しました。 ○Oさんの義父も司法書士でしたが、当時、気仙沼の有力市会議員の一人で、私が合格した後、仙台での2年間の司法修習時代にもOさんの受験勉強をお手伝いしたこともあり、昭和55年4月、仙台で弁護士登録した後、様々な事件を紹介して頂きました。勿論、私と一緒に合格され司法書士を開業されたSさんからも多くの事件を紹介され、気仙沼で2年間受験勉強を継続したことが、弁護士開業後、気仙沼の事件受任に大きな力となりました。神様の有り難い思し召しと感謝しています。 以上:1,621文字
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