平成23年 3月12日(土):初稿 |
○平成23年3月11日午後2時46分発生した宮城県沖地震で、宮城県下全域、停電中です。パソコンが使えませんが、私は無事です。 ※ここまで平成23年3月11日午後5時頃までに出張先の県南某町で持参のノートパソコンの桐HPBに記載。これをノートパソコンのmoperaUでウェブアップするはずでした。これによって私の身の安否を気遣ってくれる方々に、取り敢えず私の無事を知らせるつもりでした。ところが、同日、丁度その午後5時頃、当事務所契約サーバーがダウンして、私のメインメールアドレス使用できず、HPも掲載されなくなりました。このメインメールアドレスで受けた最後のメールが、同日、午後4時45分でした。 ※その後、約50時間経過した平成23年3月13日、午後6時50分、ようやく当事務所契約サーバーが復活してHP掲載もメール使用も可能になりました。その間、メールも使えず、約50時間、正に陸の孤島状態で、Web利用出来なくなって、ウェブ利用できることがどれほど有り難いことかと痛感していました。取り敢えず中途半端な内容のHPをアップします。 ○私は、同日、午前10時から名取市役所での法律相談担当でした。午後2時35分頃までに全ての相談を終え、その後、依頼者の迎えの自動車で、午後40分頃、次の仕事地である県南角田市に向かいました。ところが依頼者の自動車の助手席に乗って発車数分後、同日午後2時46分、進行中の自動車が、左右に蛇行状態となりました。「地震じゃないですか!」と依頼者の大声で、直ぐに道路左端に寄せて停車しました。 ○対向車線を走る自動車も全て停止し、地震が収まるのを待ちましたが、これまで経験したことのない大きな揺れが、これでもか、これでもかと感じるほど長く続きました。道路右側電信柱に繋がる電線はビュンビュンと切れるのではと思うくらい飛び回り、道路対向車線の一番近くに停車した大型トラックが大きく左右に揺れ続け、これは横転するのではと思い、底知れぬ恐怖感を感じる大揺れでした。 ○耐えること数分、ようやく揺れが収まってから、走行再開し、目的の町に向かうも途中で運行予定道路が通行止めで回り道を余儀なくされ、午後3時前には到達の予定が午後4時15分頃ようやく目的地に到達し、直ちにノートパソコンを開いて、ネットで地震情報等を確認し、事務所が心配で何度も繰り返し電話するも全く通じません。午後5時に他の弁護士と目的地で打合せ予定であり、その弁護士に電話連絡するも全く通じません。仕方なく午後6時まではその弁護士を待つことにするも気が気ではありません。 ○そこで午後4時25分、事務員達の携帯電話にメールすると、午後4時45分、ようやく1人に通じて返事が来ました。 先生、大丈夫でしょうか。との内容に仰天し、その状況では、相方弁護士も仙台から出てくるはずがないと判断して、依頼者にお願いして直ちに仙台に向かいました。午後5時少し前に仙台に向かうも、三陸自動車道は通行止め、一般幹線道路は渋滞で、一向に前に進みません。普通は1時間で仙台に到着するところ、脇道を通るなどして午後8時ようやく仙台の我がマンションに着きました。 ○運悪く自宅・事務所の鍵を持参しておらず、先ずB棟4階自宅に行くも真っ暗でドアを叩いても反応がありません。仕方なくA棟ロビーに向かうと20人くらいの方が薄暗い電灯の中集まっており、その中に高2の長男が不安そうな顔をして佇んでいました。私の顔を見てようやく安心し、自宅に引き返し、ドアを開けてかすかな光で目に入った内部の状況に茫然としました。玄関から始まり棚の物が全部落ちてうずたかく溜まっています。 ○私は、瞬間、心配していた愛猫「ミク」の圧死状態を予想し,暗澹たる気持になりました。運良く玄関脇の棚に置いてあった懐中電灯を頼りに書棚から落ちてうずたかく積まれた書籍等の間を「ミク!ミク!」と懐中電灯を照らしながら探し歩き、長男が、洋服ダンスの中にいるのではと、開けてみると、居ました。生きていました。ホッとしてA棟7階事務所に行って懐中電灯で見分すると、702,703号の打合せ室はさほど酷い状態ではありませんでしたが、701号事務室は記録や書籍が散乱して足の踏み場もない状況でした。ここは、正に「事務所はめちゃめちゃ」状態で先が思いやられました。 以上:1,811文字
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