令和 5年10月20日(金):初稿 |
○「RU令和5年7月例会開催-榊原光裕氏音楽との新たな出合いを求めて」の続きで、令和5年10月19日(木)午後7時から開催されたRU(ライジングアップ)令和5年10月例会報告で、鈴木誠一氏の令和5年2回目の講演です。鈴木氏には令和5年5月例会においてもジャズについての講演をして頂きました。今回は、鈴木氏の「72年生きてきて、今思うこと・考えること・人生雑感」と題しての講演でした。 ○鈴木氏とは、昭和56年頃設立されたRU(異業種交流会ライジングアップ)に私が昭和59年に加入して以来ほぼ40年に渡る付き合いで、大変お世話になってきました。RUは現在活動に参加する会員は7名程度になりましたが、鈴木氏は現在活動している会員の中の最古参会員です。私は鈴木氏に次ぐ古参会員です。鈴木氏は、仙台地元新聞河北新報「まちかどエッセー」に、令和元年7月から10月まで7回に渡って、その来し方・心情・信念等についてのエッセーを連載されました。そのエッセーを元に講演して頂きました。 ○鈴木氏の経歴は、当時は鈴屋金物株式会社代表取締役で、仙台市生まれ、早稲田大学商学部卒・同大大学院商学研究科修士課程修了、早稲田大商議員、仙台稲門会副会長、仙台二高同窓会理事・創立120周年記念データベース委員長、ジャズバンド「ビバップス」主宰等蒼々たるものです。同氏は、仙台二高時代はラグビー部でフッカー・フォワードキャプテンとして活躍し、早稲田大学でも一時ラグビー部に所属し、鈴木氏講演は、ラグビーの「ノーサイド」精神を紹介する「世界に『ノーサイド』を」と題するエッセーから始まりました。 ○バブル後の建設不況時代に仙台の大手金物会社は殆ど倒産し、唯一、鈴屋金物株式会社だけが苛酷な状況を生き残りましたが、その生き残った理由がよく判る講演でした。鈴木氏を一言で言うと「全てにおいて徹底してマメ」なことです。鈴屋金物株式会社代表取締役を辞め顧問となった令和4年10月以降削除されてしまいましたが、同氏が作成した個人HPは、そのデータ量の膨大さにはただただ驚かされました。鈴屋金物の取引上のデータに限らず、家族等個人データ、趣味のジャズデータ等鈴木氏が学び収集しているあらゆるデータが膨大な量として蓄積されていました。よくぞここまで記載するものだと驚愕するデータも数多く私がこのHPを作成したのも鈴木氏個人HPに触発されたからで、当HPも量だけは増えていますが、鈴木氏個人HPの足元にも及びません。 ○昨日の講演では、現在削除している理由として、個人情報ダダ漏れで苦情もあったことも挙げていましたが、何でもデータベース化するその意欲は正に桁外れで、何とか復活して貰いたいと念願しています。河北新報誌に掲載された鈴木氏のエッセーには、氏が信念とする標語等多数掲載されています。ノーサイドから始まり、プリペアマインド(準備する心)、昼は図面・夜は譜面、六中観の壺中の天、稻盛和夫氏の動機善なりや私心なかりしか、人生は権利義務ではなく恩返しと責任、亀井勝一郎氏の邂逅・開眼・信従等素晴らしい言葉を紹介され、同氏の旺盛な勉学意欲の一端に触れることが出来ました。 ○会社を信頼する後継者に譲り、業務は第一線を退いても、会社顧問としての業務指導・日経新聞切り抜き・ジャズラグビーを初めとする趣味領域等多方面に渡る驚異的勉学意欲が溢れる講演に、後ろ向きになっている私も少しは見習おうと思わせて頂く、大変有益な講演、有り難うございました。 以上:1,435文字
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