平成16年 6月17日(木):初稿 平成17年 1月 8日(土):更新 |
今日は、先週行われた実務刑事法の試験が返された。 あまりの出来の悪さに先生方は愕然としたらしい。60点以上を合格とするなら、60点以上の答案は数人しかいないという。問いにきちんとこたえることができていない、金太郎飴みたいな答案になっている、と先生方は少し怒り気味に話された。自分の説を深めるための授業をしているのに、何も反映されていないと。 しかしこれには生徒も反論した。私たちが期待していたのは導いてくれる授業であり、ゆえに明確な答えのないままいつも授業が終わってしまうのは納得できないと。 確かに、どちらの言い分もわかる気がする。先生方にしてみれば、ロースクールの既習者クラスともなれば、それぞれ自分の採る説が違うはずで、問題へのアプローチの仕方も人それぞれなはずで、先生としては、その説をとったときの問題点を投げかけて、さらに自説を深めてもらおうと授業していたのだが、生徒にしてみれば、自説を否定されつつ、しかしだからといってどういう考え方を採ればよいか、という態度を明確にしない先生方に業を煮やしたのだろう。 試験の講評を通し、そういった意見交換がなされた。というのが私の理解だが、今日の教師と生徒のぶつかりあいから、更に良い授業が作り出されていくことを願う。 以上:535文字
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